シエラの桜庭

創作小説を書いたり、日々思うことを書き綴ったり。

【オリジナル短編小説作品】星域「春の嵐」にて。

 「春の嵐」。

 

 

 Wー08星系のこの忌々しいデブリ帯に、そんな情緒豊かなネーミングをした科学者は、既にこの世にいない。

 

 

 私たちは故郷のラピニュス星を離れ、祖先の故郷である、銀河系の地球という星に向かっている途中だ。その長い長い旅路で、私と共に宇宙船に乗っているメンバーは、全部で七人。操縦士のカトリ、一級航海士のキナサとグレン、料理長のケイキ、整備士のコノエとサカン、副船長のシロエ。

 

 

 そして、私は船長という責任を与えられている。ただ単に、一番年長だというだけで。

 

 

 

「船長、この先、揺れがひどくなります。席に着いて安全ベルトをしっかりお締めください」

 

 

 航海士のキナサが忠告する。しかし……。

 

  

「無重力で揺れがどうとかおかしいだろ」

 

「揺れる船内のあちこちに身体をぶつけても責任とりませんよ」

 

 

 春の嵐は相当に厄介な星域らしい。この宇宙船では何度か宇宙旅行をしている私だが、無重力状態で船内に身体をぶつけるほど、揺れを感じることなどなかった。それが、席に固定されなければならない状態になるとは、よほどのことだ。

 

 

 私は大人しく席に着き、安全ベルトを締めた。私の右に座るのは操縦士カトリ、左に座るのは副船長のシロエ。

 

 

「この船が地球に着く頃は、どんな季節が巡っているのだろう」

 

 

 ふとそんなことを呟くと、嫌みなほどの美青年、シロエが笑った。

 

 

「地球の季節は北と南とで真逆の季節が巡っているのですよ。だから、どこの地域に着くかで季節なんてまったく違います」

 

 

 したり顔で私の無知をばかにするような態度に腹が立つ。ラピニュス星には季節という概念がない。いつでも穏やかな気候で自転する母星。地球の「季節」という単語は、祖先からの伝承でしか知らない私たちは、訳あってその星を捨てる覚悟で地球に向かっている。

 

 

「わかっとるわ、そんなこと。それでも、春と夏、秋と冬の違いはあるんだろう? そういうことを言いたいんだ、私は」

 

 

 シロエに少しでも反撃したい私は、そんな無理矢理な屁理屈をこねた。

 

 

「はいはい。そういうことにしときましょうか」

 

 

 溜め息をついて呆れるシロエは本当に嫌みだ。よくこの男と長い間同じ船にいられるものだと、私の心が嘆いている。

 

 

 船長とはいえ、操縦士でない私には、今のところする仕事はない。船内モニターに映る春の嵐を眺めながら、私は目的地である地球に思いをはせた。

 

 

 ラピニュス星より遥かに大きいと言われる地球という星。なぜ祖先はその星から遠く旅立ち、ラピニュス星に入植したのだろう。

 

 

 ラピニュス星は水をたたえる小さな星。地球と太陽の関係と同じように、恒星の周りをほどよい距離で公転しているため、穏やかな気候で、生命体が育つのに十分な条件は揃っている。

 

 

 しかし、年中同じ気候のこの星では、地球から持ち込まれた植物が根付くことはなかった。季節の変化により生育が進む遺伝子を持った地球の植物は、ラピニュスの不変の気候に順応することができなかったのだ。

 

 

 植物が育たなければ、すなわち食糧も尽きる。それでも、祖先は大量の食糧をラピニュスに持ち込んでいた。百人の人間が二百年は生きられるという量の食糧。開発したのは我々の祖先の科学者、スダマ。彼は、故郷である地球を捨て、長い旅を経てラピニュス星に移住することを広く勧めた人物だ。「春の嵐」の名付け親でもある。彼の提案に乗って彼についてきた地球人は全部で三十八人。しかし、その半数がストレスで移住後の数年のうちに亡くなり、生き残れたもう半分も、子孫を残せたのはごくわずかに過ぎなかった。そのわずかな子孫が私たち七人だった。私たちは地球のことを伝説としてしか知らない。私たちの親でさえラピニュスで生まれたのだ。親が知らない星のことを、私たちが知るわけもない。

 

 

 そして、祖先がラピニュス星にたどり着いたと言われる年からもうすぐ二百年という今年、スダマ氏の開発した食糧備蓄がいよいよ底をついた。新しく食糧を作る術を私たちは持たない。そこで私たちが対策を話し合い、出した結論は、祖先の故郷、地球を目指すこと。それは賭けとも言えた。なぜなら、私たちは誰も地球に行ったことがないのだ。祖先が使った宇宙船も、本当に地球まで連れて行ってくれるものかもわからない。食糧にまだ余裕がある頃には、近くの星を見に行く程度の宇宙旅行にこの船を使ったものの、地球までは二百光年の距離があるのだ。とてもたどり着けるとは思えない。私たちにはこの宇宙船を動かすという技術しかない。光の速さを超えて移動ができるこの宇宙船の推進力の謎も私たちには解けないのだ。

 

 

 それでも、ラピニュス星にいたままでは、私たちはただ滅びるのみだ。食糧のために醜い争いをするしかない。それすらも余裕がないほどなのだ。だから、私たちは地球を目指す。それがたとえどんなに困難な道だとしても。

 

 

「船長、もうすぐで春の嵐を抜けられます」

 

 

 操縦士のカトリが告げる。なんだ、結局そんなに揺れなかったじゃないか。そんな私の皮肉を込めた眼差しを、キナサは涼しい顔で受け流した。そして、言う。

 

 

「何か起こってからでは遅いから、安全対策という考え方があるのですよ。ベルトを締めないことの危険と、ベルトを締めたことの不自由さ、天秤にかけてどちらが重いかは明白です」

 

 

 悔しいけれど、彼の発言に反論の余地はない。私が溜め息だけついて、ベルトを外そうと手をかけたときだった。

 

 

「待ってください、船長。何かあります」

 

 

 寡黙な航海士のグレンが声をあげた。見ると、モニターに何か薄紅色の物体が映った。それは最初は小さい屑かと思ったのだが、それを避けて船が通り抜けようとしたとき、モニターの一面が薄紅色に染まってしまった。

 

 

「な、なんだこれは……? 前が見えないぞ」

 

「レーダーの故障か? とにかく対策を……」

 

 

 操縦士たちが対応に追われる中、私の脳裏に浮かんだこと、それは……。

 

 

「『桜吹雪』……。これが真の『春の嵐』……?」

 

 

 母に聞いた地球の「花」と呼ばれる植物の一形態が起こす美しい現象。その名前がよぎったのは、「春の嵐」という単語が与えるロマンチックな印象のせいだろうか。危険な状態であるとはいえ、私はこの薄紅色に見入ってしまった。地球はまだ遠い、この長い宇宙旅行の途中で、女の私には、春の嵐は幻想的なほどに美しく感じられた……。