シエラの桜庭

創作小説を書いたり、日々思うことを書き綴ったり。

【短編創作小説】message ―のべらっくす第7回―

第7回にして初めて参加します。

未だにこのはてなブログの使い方がよくわかっていないのですが、そんな状態なのに参加します。

短編と言いつつ、投稿規定の5000字ギリギリくらいなので、ちょっと長めです。Wordで書いたら4ページくらいになりました。

書いていたらエピソードが書き足りなくて、書けなかった部分もあるのですが、まあ、書きたかった部分は書けたのでこれで投稿します。

感想頂けたら嬉しいです♪ 

novelcluster.hatenablog.jp

 

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message

 

「未来と書いて『ミク』。この子に明るい未来が待っていますように」

 二〇〇五年二月、ある地方都市で一人の女の子が産声をあげた。自然分娩で五体満足に生まれたその子は、母親に抱かれて言葉にならない声を発していた。

 この子に父親はいない。もちろん、生物学上の父親は存在するのだが、事情があって母子とは一緒には暮らせないのだった。

「生まれてきてくれてありがとう。あなたのためにママ、頑張るからね」

 柔らかな産毛が生えただけの頭を優しく撫でると、ミクは小さな顔を歪めてむずかった。その愛しい身体を優しく抱きしめる母。若い母親にとっては試練の連続だろうが、この子がいれば怖いものはない、彼女にはそう思えていた。

 

 

 十年後、小学校に通うようになったミクには、つらい現実が待っていた。

「おい、ハツネ! お前うたってみろよ! あのオタクくせえ歌」

「黙ってないでなんとか言えよ、ハツネー。ぎゃはははは」

 ボーカロイド初音ミクが発売されて五年以上は経つ。メディアでもたびたび取り上げられ、当初は知る人ぞ知る存在だった彼女は、今や知らない人間の方が珍しいくらいに浸透していた。それは小学生にも当てはまることだった。そして、浅はかにもそれをネタにしてミクをいじめる男子の存在。

 ミクはハツネなどという名字ではない。鈴木という日本では二番目に多い名字である。だが、その本当の名字で呼ぶのは、この小学校では教師くらいだ。いや、教師の中にでさえ、悪気のないあだ名だと思ってハツネと呼ぶのもいるくらいだ。

 ミクはいじめっ子の男子たちを睨みつけるが、その目には涙が浮かんでいた。元々優しい性格の彼女には、言い返すことさえできない。女子たちが心配して近寄ろうとしたところで、ミクは彼女たちを振り切って、教室を飛び出してしまった。

「ちょっと、ひどいんじゃない? ミクちゃんは名前が同じなだけじゃない」

「そうだよ、男子ひどすぎ!」

「うるせえな! お前らには関係ないだろ?」

「そうだそうだ、関係ない女子はひっこんでろ!」

 ミクをかばう女子たちも、当の本人を追いかけて行くまでのことはしなかった。本人不在の中、男子の一派と女子の一派が言い合いをしていたが、授業開始のチャイムが鳴って、しぶしぶ席に戻っていった。

 

 

「もうやだ。もうやだ! なんでこんな名前なの!? こんな名前なんかに生まれなければ、わたしは……」

 普段は鍵がかかっていて入れないはずの屋上なのに、今日に限ってなぜか鍵が開いていて、誰でも外に出ることができるようになっていた。ミクはそのことに気付きもせずに屋上に出ていた。無我夢中で逃げるように走ってきて、たどり着いたのがそこだった。

 一陣の突風が彼女を吹き上げた。思わず腕で顔をかばい、目を閉じた。風がやんだあとに目を開けると、屋上からの眺めの良い景色が飛び込んできた。その景色をもっとよく見ようと、ミクは縁を取り囲むフェンスまで近付いた。近付くごとに胸の奥で黒く感情がうごめく。

「このまま、飛び降りたらどうなるのかな……?」

 自分で自分の発した言葉に驚いていた。この校舎は三階建て。その屋上から落ちたら、待っているのは当然、大怪我などでは済まない……。

 ミクはぶるると身体を震わせた。そんなつもりはない。そんなつもりでこの屋上に上がってきたわけではなかった。

 それでも、フェンスをつかんだ手を離すことができなかった。このままここにいたら、本当に馬鹿な考えを実行してしまいそうで恐ろしいのに、とりつかれたようにそこから動くことができなかった。

「やめときなよ。母さんを悲しませるつもり?」

 突然の背後からの声に、ヒッとのどを鳴らして、ミクは振り返った。すると、そこにはミクの住む街で一番の進学校の制服を着た、見知らぬ女子高生が立っていた。綺麗な黒髪ロングのストレート。目鼻立ちがくっきりとしていて、整っていて、美人と表現して構わないだろう。制服は着る者によっては野暮ったく見えるデザインなのだが、彼女にはぴったりと合っていた。

 女子高生は、斜めの角度からミクを眺めていた。小学生のミクにとっては、随分大人に思えるその姿。背も高い。百六十センチはあるんじゃないだろうか。

「な、何? ここ、小学校なんだけど……」

 この女子高生、どうやってここまで入って来たのだろう。それに、どうして自分の考えていたことがわかってしまったのだろう。ミクは次々に浮かぶ疑問符を、目の前の彼女にぶつけようかどうか迷っていた。すると、ミクが口を開く前に女子高生が答えを返してきた。

「わたしはあんたが思い詰めてるのがわかってたから来たの。どうしても伝えたいことがあったから」

 ミクの発した疑問に答えたわけではなかった。しかし、真剣な眼差しに、ミクは彼女が語る邪魔をしようとは思わなかった。女子高生は更に続ける。

「いじめが嫌なら学校を休んでも良い。でも、自分の命を絶つなんて馬鹿なことはしないで。たった一人の家族を悲しませるのはしのびないでしょ?」

 小学生のミクには、「しのびない」の意味がちゃんとはわからなかったのだが、女子高生の言葉の強さに、ただうなずくしかなかった。

「覚えていて。あんたはあんたが思う以上に愛されてる。だから、馬鹿なこと考えないで」

 ミクがうなずくと、また突風が彼女の視界をさえぎった。そして、目を開けたとき、女子高生の姿はどこにもなかった。

 

 

 その後のミクはといえば、相変わらず男子にいじめられ、五年生になって五月を迎えた頃、季節外れの風邪をひいて学校を休んだそのまま、登校することができなくなってしまった。それから、小学校には一度も顔を出さないまま卒業し、中学校にも一日も通えなかった。それでも、ミクの母は彼女を責めることなく、ただ優しく見守った。学校に通わない代わりに、ミクは通信教育で勉強した。更には仕事が休みのときに母にも勉強を見てもらい、高校受験に向けての模擬試験で、希望の高校にA判定が出るほどに成績を上げていた。その高校はいつかの女子高生の高校ではないが、そこそこの進学校だった。だが……。

「どうして? どうしてその高校が良いの?」

「母さんが通っていた高校だからよ。やっぱりあなたにもあそこに行って欲しいわ」

「でも、受かるかどうかもわからないのに……」

「受けるだけ受けてみなさい。滑り止めの私立も受けて良いから」

 結局、母の説得に負け、ミクは通学区で一番の進学校を受けることにした。ミクの脳裏にはいやでもあの日の女子高生のことが浮かぶ。あの人と同じ高校に通う。そんな自分を思い浮かべると、どこかうきうきしてしまうのにミク自身驚いていた。

 

 

 ミクにとって、あの日出会ったあの女子高生は、いつしか憧れの存在になっていた。美人で、かっこよくて、たったあれだけの言葉で自分を救ってくれた。彼女に少しでも近付けるように、髪を伸ばし、嫌いだった納豆も毎日食べ、毎朝ジョギングをして体力をつけ、体型を引き締めた。

 鏡に映る自分を見ると、少しは近付けたかとも思えるようになった。洗面台の前でいつまでも髪をいじっているミクに、出勤前でばたばたしている母が声をかける。

「ほら、学校遅刻するでしょ。せっかく受かった高校なんだから、遅れないように行きなさい」

「はーい」

 ミクは前髪をちょっと引っ張って、なんとか整ったような気になってから洗面所をあとにした。彼女が着ているのは、あの日の女子高生と同じ制服だった。

 

 

 入学式がつつがなく終わり、新入生が高校生活に慣れ始めたところで、部活の勧誘合戦が始まった。ミクは部活になど入る気はなかったのだが、移動教室のときにうっかり忘れものをしてしまい、放課後に取りに戻ったところで、ある部が活動をしているところに出くわしてしまった。

「いらっしゃぁい。新入生ね? この学校一の頭脳を結集した科学部にようこそ!」

 ミクが教室に足を踏み入れたところで、ゆるいウェーブのかかった栗色の髪を揺らしながら、大人びた顔つきの女生徒が手を広げて歓迎して来た。ミクは思わず後ずさりする。まさかこの理科室で部活動が行われているとは。そして、この部の代表っぽい態度の女生徒、彼女はなんだか、関わらない方が良さそうな人種だ。

「いえ、わたしはただ赤ペンを取りに来ただけで……」

 ミクはこの場に来てしまったことを後悔していた。たかがペン一本のことだ。忘れたんだったら、忘れたまま、買い直せば良かった。こんな面倒くさそうな人に関わる状況、それを創り出してしまった自分に苛立ちのようなものさえ感じていた。

「まあまあ! 遠慮なんかしなくて良いのよ。さあ、そこに座って頂戴!」

 踊るような動作で、栗色の髪の女生徒は一つの席を指し示した。すると、そばに控えるように立っていた地味な見た目の女生徒二人がさっとミクに近付いて、見た目に反した強引さで無理矢理ミクをその席に座らせた。

「改めていらっしゃい、新入生さん。さあ、山本さん、彼女にお紅茶を淹れて差し上げて!」

 ミクが山本と呼ばれた女生徒に視線を向けると、マゼンタ色のフレームの眼鏡をかけた彼女は、可愛らしい花柄のティーポットでお茶のようなものを淹れていた。そして、ポットと同じ柄のティーカップがミクの前に運ばれた。カップの中では赤茶色の液体が湯気を立てている。

「さあ、新入生さん。佐藤先輩特製ブレンドのお紅茶をどうぞ」

 ミクは逃げ出したい気分になっていたが、山本氏や栗色の髪の女生徒のキラキラとした視線に負け、しぶしぶその紅茶に口をつけた。すると……。

 一口飲んだところで、室内なのに突風に巻き込まれたような衝撃を受けた。思わず閉じた目を、落ち着いたところで開いてみると、ミクは見知らぬ場所に立っていた。

「え? え? あれ? わたし、理科室にいたはずなのに……」

 小さく呟いた声は、その近くにいた人物には届かなかったようだ。彼女はミクに背を向けたまま、フェンスを握りしめるようにつかんでいる。ミクは辺りを見回す。見知らぬ場所と思ったそこは、よく見れば見覚えのある場所だった。

 そう、そこはミクの通っていた小学校の屋上で、そこにいたのは小学生のミクだった。そのことに気付いた瞬間、不思議なことに全てを理解することができた。それは、嵐のようにミクの頭の中を駆け巡った。

 あのとき、ミクが出会った憧れの女子高生、それはミク自身の成長した姿だったのだ。そして、なぜかはわからないが、山本氏に出された紅茶を飲んだ瞬間に、ミクはタイムスリップして、この小学生のミクの前に現れたのだ。

 思い詰めたようにフェンスを握りしめる小学生のミクに、かける言葉は一つしかなかった。

「やめときなよ。母さんを悲しませるつもり?」

 そう声をかけると、幼いミクは肩を縮めて振り返った。その怯えたような表情に、高校生のミクは胸が痛む。自分はこんなに弱々しい姿だったのか。今にも消えそうなほどの貧弱な姿に、ミクは抱きしめてやりたくなったのを必死で我慢した。

 あの日、あの女子高生がかけてくれた言葉、それを自分が言えるかはわからなかった。それでも、ミクは小さなミクを必死で励ました。泣きそうな顔で小さなミクがその励ましにうなずいたのを確認した瞬間、突風に煽られ、高校生のミクはその屋上から姿を消した。

 

 

「どうだった? 時間旅行は」

 ミクが目を開けると、栗色の髪の女生徒が嬉しそうに微笑んでいた。気付けばミクは理科室の、無理矢理座らされた席に座っていた。

「これは人が一番戻りたい過去に一瞬だけ戻れる紅茶よ。ふふっ。すごいでしょ」

 ミクはあきれた。頭の中でどう処理して良いのかわからなかった。いくら科学部と言ったって、そんな効果のある紅茶を作れるなんて、信じられなかった。あまりにも現実離れし過ぎている。だが、ミクが体験したのは夢でも幻でもない、現実だった。

「わたしの名前は佐藤瑠夏(ルカ)。この名前、悪くはないけど、小学校のときにはいじめられて大変だったわ」

 唐突に栗色の髪の女生徒が名乗った。ミクはその名前にどこか自分と似たものを感じた。確か初音ミクの何年かあとに発売されたボーカロイドが……。

「あなたのお名前は? 新入生さん」

 そう訊かれて、ミクも心を決める。もしかしたら、この佐藤先輩とやらとは話が合うのかもしれない。

「わたしの名前は……」

 ミクにとってのこれからの高校生活は、明るいものになる予感がした。

 

 

ーEND―