シエラの桜庭

創作小説を書いたり、日々思うことを書き綴ったり。

【短編創作小説】なんとかの嫁入り ―のべらっくす第9回―


感想の続きもまだ書けてないのに月末が来てしまいましたね……。
テーマ「雨」ということで、いろいろ考えたのですが、6月なので「結婚」と結び付けてみました。
安直な発想ですが、書くのにはちょっと苦労しました。
感想など頂ければ嬉しいなー。

では、続きからどうぞ。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

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なんとかの嫁入り

 

 新雪のような白がまだ若い香りのする畳の上に広がっている。しかし、雪ではないので解けることもない。広がっているのは白い布だ。柔らかく滑らかな手触りは、それが上質の絹であることを示している。布を拾い上げた女は愛しそうにそれを頬に当てた。明日、女はそれを着て、一生に一度の大切な誓いを交わすのだ。

「みやこ」

 いつの間に部屋に入ってきていたのか、若い男が女をそう呼んだ。女は切れ長の眼を相手に向ける。愛しい恋人の姿だった。貧しいながらも武士の出である彼は、早世した父から受け継いだ名刀を腰に下げていた。

「もう明日なのだな。祝言の日は」

 憂いを帯びた瞳を女に向けて、しみじみと男は呟いた。

「大丈夫。きっと私は幸せになれる」

 同じく憂いを帯びながらも女は微笑み、その表情を見た男はたまらず女を背中の方から抱きしめた。自分の胸の前に重なった男の両腕を、女は細く白い指で愛しげに撫でた。

「好きだ。この気持ちは誰にも負けはしない」

 消え入りそうな声で男が囁く。その声に込められた感情を推し量り、女も優しい声で答えた。

「私も誰より貴方を愛しています」

 その言葉に、男は一粒涙を流す。その口元は歪み、それ以上の涙を流すまいとして歯を食いしばる男。白い着物はその場にただ広げられているだけだった。

 

 

 次の日、空は青く輝いていた。そして、花嫁の身に着ける衣装のような白い雲が、風に流れて筋状に薄く広がっている。この好晴は、天が婚礼を祝福している証拠だと花婿の父は喜んでいた。

 花嫁は親族を集めた行列を作り、これから暮らすことになる大きな屋敷へと静かにゆっくり進んでいく。彼女を迎える花婿は、昨日彼女を抱きしめたあの恋人ではなかった。花嫁みやこが嫁ぐのは、刀剣商を営む大店の長男。金に困っているみやこには、貧しい恋人と一緒になることはできないのだ。

 みやこには長らく病床に伏せっている母がいた。それでも、父が生きている頃は、親子三人が生活に困ることはなかったのだが、一年前、不慮の事故でその父を失った。悲しみに浸る暇もなく、みやこは母のため金策に走り、なんとか生計を立て、薬代を捻出していたのだが、それもひと月前にどうにも苦しくなってしまった。

 そこに手を差し伸べてきたのが、伊勢屋という、町で一番の大店の主人だった。脇差を中心として様々な種類の刀剣を扱うこの店は、特に金持ちの武士に評判が良く、売り上げも上々だった。主人は、みやこの母を救う援助をする代わりに、跡継ぎの息子の嫁になることをみやこに迫ったのだ。その時点で恋人のいたみやこには即答はできなかったのだが、日に日に弱る母の姿と、寂しくなっていく財布の中身に、申し出を受け入れるしかなくなってしまった。

 そして、こうして祝言の日を迎えてしまった。白無垢に身を包み、しずしずと歩くみやこは誰の目にも美しく見えた。だが、みやこの表情は浮かない。何せ、嫁ぐ相手は恋人ではなく、ろくに話したこともない相手なのだ。そんな相手に嫁がなければならない境遇を、みやこは夜がくるたび一人嘆いていた。それでも逃げるわけにはいかない。みやこには見捨てることのできない母がいるのだ。

 行列があぜ道をゆっくりと進んでいると、先頭の宰領の目の前に一頭の馬が現れた。驚く一行に向かって、馬上の侍が高らかに宣言した。

「花嫁は拙者のものだ! あんな男になど渡さない!」

 そして、呆気にとられる一行を尻目に、馬上に花嫁を奪い、その勢いのままに走り去って行く。花嫁のみやこは驚きはするものの、自分を抱きしめるその侍が最愛の恋人だと知り、喜んで抱きしめ返す。先のことは考えない。二人はただその瞬間の幸せに身を任せ、目的地もわからないままに、ただひたすら馬を走らせる――。

 真っ直ぐに新郎の家へと進んでいく花嫁行列を遠くに眺めながら、みやこの恋人はそんな儚い妄想に浸っていた。しかし、そんなものはただの夢、幻でしかない。彼には乗る馬もないし、花嫁を奪う度胸もなかった。それに、そんなことはみやこも望んではいないだろう。彼女にとっては恋人ではあっても他人の彼よりも、肉親である母親の方がはるかに大事なのだ。そして、昨日彼女ははっきりと口にしていた。「幸せになれる」――と。

 唇を噛みしめる彼の頬を、しずくが流れていく。涙ではない。その水滴は、彼の顔だけではなく身体のいたるところを控えめに濡らす。彼は空を見上げた。相変わらず青く輝く空から、ぽつりぽつりと落ちて来るのは雨粒だ。

「なんとかの嫁入りだな。正に今日に相応しい」

 花嫁の近くでそんな声が上がった。それは花嫁にとっては聞きたくない言葉だった。花嫁みやこの小さな頃のあだ名は「キツネ」。特徴的な目元のせいで、そんな呼ばれ方をしていたことを、みやこは悲しい過去として胸に封印していた。それなのに……。

 降っているのかいないのか、わからない程度の雨に濡れながら、行列は花婿の家にたどり着いた。そしてみやこの傍らに立った新郎が彼女に放つ無神経な言葉。

「空模様も祝福しているな。まさしくそなたの輿入れに見合った天気雨だ」

 みやこは密かに唇を噛んだ。濃く引かれた赤い紅のせいで傍目にはわからないが、血が滲みそうなほど強く噛みしめていた。その言葉の意味するところは、みやこをキツネに見立てているという色眼鏡だ。みやこには聞こえるような気がした。遠い幼い日にいじめっこたちにかけられた心ない言葉の数々が。泣きたくなる思いを必死にごまかして、みやこは無表情を装った。

 こんなひどい男に嫁がなければならない境遇をみやこは呪った。恋人だった男前の武士と違って、裕福な家の長男という生まれに甘えてぶくぶくと太った醜い姿も受け入れがたいというのに、中身も期待できそうにないとは。「幸せになれる」? そんなのはただの虚勢だ。恋人を、そして自分を騙すための悲しい嘘に過ぎない。しかし、みやこに逃げ場はない。花婿の家で用意された豪華な花嫁衣装で着飾り、花婿の母親に施された化粧で美しくなった彼女にはもう、この男と一緒になる以外の道はないのだ。

「どうかしたか?」

 花婿にそう問われて、みやこは笑みを浮かべて振り向いた。本当に嬉しいわけではない。けれども、この先彼女が生き抜いていくにはこの作り笑いを容易には見抜かれないように、磨いていくしかない。

 つつがなく進行していく祝いの席。溜め息をつくことすらも許されず、みやこはただその場で微笑んでいた。

 

 

 「狐の嫁入り」は夏の季語。じんわりと蒸すような陽気に、男は汗をぬぐった。花嫁行列の去ったこの道にたたずんだまま、どれだけの時間が経ったのだろう。男には縁のない高級な刀剣を扱う大店の主人の息子に嫁いだ恋人の花嫁姿が目に焼き付いて離れない。今日のところは仕方がない。やっとそう自分を納得させることができて、男は静かに歩き出した。いつかは彼女を取り戻そう。そんな誓いだけを胸に秘め、彼は町をあとにした。

 

終わり