【短編創作小説】わかばに関する初めての恋について ―のべらっくす第8回―
第7回の「未来」をテーマにした作品に、たくさんの方が感想をくださって嬉しかったです。ありがとうございました。
私の方からはいくつかの作品にしか感想を送ってませんね。すみません。
感想って苦手なんですよね……。
「面白かった」以上の言葉がなかなか浮かびませんし。
まあそんなわけで(どんなわけだ)、第8回のテーマ「緑」に挑戦してみました。
わかばに関する初めての恋について
「八十六番ください」
無愛想な声でそう口にする男性客に、女はその番号のタバコをカウンターの下のプラスチック棚から取り出した。
この店の八十六番は、商品名で呼ぶと「わかば」だ。タバコを吸わない、吸ったことのないその女の店員にはわからないことだったが、値段の安さ以外にも魅力があるらしく、毎日のように誰かしらが買って行って、毎日のように商品補充が必要となっていた。
「二六〇円になります」
女はタバコにバーコードリーダーを当ててレジの画面に値段を表示させ、無愛想に無愛想で応えた。男性客は既に財布を準備していて、一枚千円札を取り出し、女に渡した。
そこで初めて男性客はまともに店員の女を見た。ストレートの黒髪をポニーテールにして結び、シュシュなどの装飾品はつけていない。それでもそこはかとなく色気を感じる眼差しに、彼は不覚にもドキッとした。くりくりとしたつぶらな瞳、筋の通った可愛らしい鼻、桜色の花びらのような唇。美少女と呼ぶほどの美貌はないが、心が動かされるような愛らしさだった。
そして、その顔には見覚えがあった。
「千円お預かりします。七四〇円のお返しになります」
視線も合わさないまま、女はレシートとお釣りを男性客に渡した。彼はそれを受け取りながら、驚いたように言った。
「若葉(わかば)ちゃん?」
そう声をかけられて、女も真っ直ぐに男性客を見た。コンビニのレジは時間帯によっては目が回るほど忙しく、いちいち一人一人の客の顔など見ていられない。そんな事情もあって、女は普段から客の顔をほとんど見ない接客をしているのだが……。ネームプレートに表示していない自分の個人名を呼ばれれば、反応しないわけがなかった。
「わかば……ですね。確かに。このタバコは」
しかし、彼女はすぐに正直に認めるような素直な女ではなかった。警戒心もある。見覚えのない男に対して、無防備に自分の本名を認めるのは危険だった。
「もう、素直じゃないなあ、相変わらず。オレだよ、ほら、中学校で一緒だった津村(つむら)だよ」
昼下がりのひととき、昼食時のラッシュはとうに過ぎ、小さなコンビニの店舗内に客はその男性ひとり。レジ前でのんびりと会話などしていて、迷惑をかけるような誰かというのは特にいないのだが、女にとってはこの男と話すことなど面倒くさく感じていた。
だが、津村という名字に聞き覚えはある。別段珍しい名字とも感じられないが、なぜか彼女の人生の身近にはひとりしか存在しなかった。
「津村……大輔(だいすけ)?」
記憶の欠片が思い出の泉から引き上げられ、その名前が女の口をついて出た。すると、男性客は喜び、目に光が取り戻されたようだった。
「そう! 覚えててくれたんだ。嬉しいな。ねえ、いつからここでバイトしてるの?」
女はその質問に答える前に、男性客をまじまじと見た。流行りのヘアスタイル、涼しげな目元、形の良い鼻と唇、それを縁取るシュッと締まった輪郭と、それにつながる細身の体躯。
こんな、こんなイケメンは自分の知り合いにはいない。いないはずだった。第一、津村大輔という男は、ずんぐりむっくりで冴えない容姿だったはずだ。それが、目の前にいる男は身長も高いし、少し痩せ過ぎなくらいにすらりとしている。頑張ってダイエットしたんだろうか。それに対して自分は中学生の頃から碌に成長もしていない――。なんだか落ち込んでしまった女だったが、それでも質問には答えた。
「もうすぐ二ヶ月になるの。前の職場、合わなくて辞めちゃったから」
女は一度は正社員として小さな会社に就職したのだが、そこで先輩の女性社員たちと些細なことで揉めて辞めていた。中途半端な時期で辞めたのもあって、次の就職先が見つからず、つなぎとしてコンビニでバイトすることにしたのだった。それでも、地元の知り合いに会うのが恥ずかしかったので、自宅のある市内ではなく、電車を乗り継いだ隣の市の店を選んだのだが、同じ中学出身の男子と出くわすとは運がなかったと女は悔やんでいた。
「そっか……。でも、オレにとってはラッキーだったな。まさかこんなところで会えるとは思わなかった」
満面の笑みで喜ぶ男に、若葉は戸惑っていた。中学時代の知り合いという贔屓目を抜きにしても、かっこいいと思う男にそんな笑顔を向けられれば少なからず心が動く。就職に失敗して、色恋沙汰からも遠ざかっている彼女にとって、思いがけないときめきがそこにあった。
「私はこんな姿で出会いたくなかった。この年でバイトだなんてかっこ悪いし、見た目だって成長してないし……」
思わず心に浮かんだマイナスの感情をぶつけてしまい、若葉は後悔した。そんな言葉を口にしたら、ますます惨めではないか。視線を落とす彼女に、大輔は言う。
「そんなこと言わないでよ! オレは若葉ちゃんが変わってなくて嬉しいよ。相変わらず可愛いし、話しててドキドキするんだよ。若葉ちゃん、男子の間ではすごく人気あったの、知らない?」
「え……?」
思いもしないその告白に、意味をなした言葉が出て来ない。ただ訊き返すだけの声に、大輔は照れながら更に告げる。
「言うの恥ずかしいから黙ってようと思ったんだけど、言っちゃう。オレの初恋なの、若葉ちゃん。高校別れちゃってすごく悔しかった。でも、昔のオレの見た目じゃ告白なんてとてもできなかったから……」
「そんなの全然知らなかった……」
自分が男子に人気があっただなんてことは若葉にとっては初耳だった。中学時代の彼女は、特に目立つこともない平凡な女子生徒だった。そう自分では思っていた。しかも、大輔の初恋が自分だとは……。動き始めた心が更に心臓を高鳴らせる。若葉は自分の気持ちの変化に戸惑っていた。どうしよう、このまま別れたくない。もっと話をしたい。そう思っていた。
「オレも言わなかったもんね。言えなかったって方が正しいけど。ねえ、今って彼氏とかいるの?」
ここで「いる」と嘘をつきたくなったのを、若葉は我慢した。彼氏も片思いの相手すらもいないが、恋愛事情が寂しい状態だなんて、本音では知られたくはなかった。「かっこ悪い」。そう思った。しかし……。
「いない……けど……」
ここは正直になるべきだ。彼女はそう感じた。ただでさえ少ない出会いの機会をみすみす逃す手はない。しかも、こんなイケメンに初恋だったなどと告白されているのだ。チャンスはつかまなければ。
「そっか。もし良かったら、これオレのLINEのIDなんだけど、登録してくれないかな?」
一旦は受け取ったレシートの裏に、英数字を組み合わせた文字列を書いて大輔は若葉に渡してきた。少しクセのある文字が懐かしい。けれど、目の前の男はすっかり変わっていた。見た目もかっこよくなったし、話し方も洗練されている。まるで初対面の相手のように若葉には感じられていた。
「登録するだけでいいの?」
連絡先を受け取った若葉は、少し意地悪に言ってみる。
「連絡してくれたらもっと嬉しい」
優しい表情で目を細める大輔に、そこで初めて若葉も笑顔を見せた。
「考えとく」
そう言いつつも、自分の中に今までに感じたことのないときめきが生まれているのに若葉は気付いていた。
ふとカウンターの下に視線を落とすと、「わかば」の箱が目に入った。黄緑色のシンプルなデザインのパッケージ。まさかこんな小さなものが出会いを引き寄せてくれるなんて思いもしなかった。
本当の恋というものが、初めて始まるような気がしていた。笑顔で店を去る大輔を見送って、若葉はもらったレシートを丁寧に畳んで制服のポケットに仕舞った。
ーEND―